「野田の玉川」について
塩竈市大日向町から多賀城市街を通り、砂押川に流れる小川「野田の玉川(のだのたまがわ)」。
歌枕として有名な六玉川(むたまがわ)の1つで、新古今和歌集に収められている平安時代の僧侶、歌人で中古三十六歌仙の1人・能因法師(のういんほうし)が詠んだ歌が有名です。
1689年(元禄2)には、俳人・松尾芭蕉が門下の河合曾良(かわい そら)とともにこの地を訪れ、『おくのほそ道』に句を残したことでも知られています。
藩政時代になると「野田の玉川」は仙台藩によって整備、保護されました。その後、1992年(平成4)に多賀城市の「水・緑景観モデル事業」の一環として当時を偲ばせる姿に整備され、現在に至ります。
例年8月下旬には、「野田の玉川あんどんまつり」を開催。
あんどんの薄明かりの中、琴の調べや琵琶演奏、和歌朗詠、横笛演奏など雅な音色が小川の周辺に流れます。幻想的で、いにしえの世界へタイムスリップしたかのような気分になれるお祭りです。
・能因法師(新古今和歌集)
「ゆふされば しほ風こして みちのくの のだの玉河 千鳥なくなり」
・松尾芭蕉(おくのほそ道)
「それより野田の玉川、沖の石をたづぬ」
「野田の玉川」のおすすめのポイント
野田の玉川にかけられている「おもわくの橋」
「おもわくの橋」は、別名「安倍の待橋(あべのまつはし)」と呼ばれています。安倍とは、平安時代中期の武将で前九年の役で知られる安倍貞任(あべのさだとう)のこと。貞任は、美人で「おもわく」のいう名の村娘に想いを寄せて、この橋を渡ったという伝説が名前の由来といわれています。
野田の玉川沿いにある「水・緑景観モデル事業竣功記念碑」
おもわくの橋の近くには、1992年(平成4)に野田の玉川で行われた多賀城市の事業の記念碑が設置されています。約1,200mの水路整備による治水対策と、良好な水辺景観の創造が目的。1995年(平成7)には、当時の建設大臣より「手づくり郷土賞」を受賞しています。
塩竈市の民家に佇む「野田の玉川の歌碑」
野田の玉川から車で3分ほど走った塩竈の民家のにある「野田の玉川の碑」。1787年(天明7)に塩竈の俳人・白坂文之が建立しました。歌碑の表には、能因法師、裏に白坂文之の歌が刻まれています。
・能因法師(表)
「ゆふされは汐風越て陸奥の野田の玉河千鳥なくなり」
・白坂文之(裏)
碑の裏面にも塩竈の俳人白坂文之の 「玉川や田うた流るる五月雨」
【野田の玉川の歌碑】
住所:
〒985-0042 宮城県塩竈市玉川1丁目5
「野田の玉川」へ訪れた方の口コミ
訪れた多くの方々のクチコミから、一部をご紹介します。
「野田の玉川」の基本情報
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りませんのでご了承ください。
名称 | 野田の玉川 |
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所在 | 〒985-0871 宮城県多賀城市留ケ谷3丁目1 |
アクセス | 【公共交通の場合】 東北本線「国府多賀城」駅より徒歩約24分 【クルマの場合】 三陸道「多賀城」ICより約9分 |
駐車場 | なし |